2010年12月17日金曜日

ウルティマ オンライン10周年特別企画「元GM覆面座談会






 1997年10月17日。

 それは,「ウルティマ オンライン(Ultima Online)」(以下,UO)のパッケージが日本で発売された日である。それから10年が経ち,2007年10月17日,今もなおサービスが続けられているUOの,記念すべき10周年を迎えた。



 この記念すべき日に先立って,EAから「何か面白いことをやりましょうよ。っていうかやってくれませんか」と依頼があったのだが,10年の歴史を刻んだ作品ともなると,なかなか良いアイデアが思いつかない。攻略とか紹介なんていうごく当たり前の記事ではない,昔からの人も新しい人も読んで面白い“何か”とはなんだろう,とずっと考えていた次第だ。

 そんな中急浮上したアイデアが,「覆面座談会」。10年もの歴史を誇っていまなお現役のオンラインゲームはUOくらいしかなく,その間に起こった様々な事件やイベントは,もはや口頭や個人のWebサイトで伝わるだけになっており,ものによっては「ネタ」扱いさえされている。シャードの家全部消えました事件や,Yamato大戦など,昔からの人が読むと懐かしく,新しい人が読むと「へえ」と思える,そんな記事ができるんじゃなかろうか。

 そんなわけで,当時の日本サービスを支えてきた元GM(Game Master)達に集まってもらい,当時の苦労話や今だから言える話といったところを聞かせてもらえることになった。みなさんいまなお業界で現役の人達なので,仮名で登場することは,なにとぞご容赦いただきたい。







 2007年10月某日,東京都内のとある料理店に集う6人の元GM達。いずれも,UOの日本サービスを初期から支えてきた人達である。すでにUOから離れた人だからこそ言えること,匿名だからこそ言えること……。そんな,元GM達から出る言葉の一つ一つを記録……するのはよいが,果たしてこれ本当に公開できるものになるのだろうかと心配しつつ,乾杯の音頭と共に幕は開いた。










Special Thanks(画面写真提供):Acha.,Kapapa,Cactus,Veno,小菅真美




■第二夜は「こちら」

■第三夜は「こちら」










10周年を迎えたウルティマ オンライン
日本シャード開始当初を支えてきたGMとはどのような人?













すべてはここから始まった。今では見られない懐かしのログイン画面
大混乱していたころのUOから1枚。ミニマップにはテントが見え,バックパックにはOrder Shieldが見える



4Gamer: (ひとしきり「お久しぶり」の応酬が済んだあとで)本日はよろしくお願いします。みなさんが今回みたいに集まったのは何年ぶりぐらいになります?



ベス : 色々な方面へ散ってしまっているので,こういう集まりは実は初めてですね。



ミノ : ゲームショウで会うことがあったくらいかな?



4Gamer: なるほど,みなさん結構お久しぶりだということですね。さて,みなさんご存じのようにUOが10周年となるわけですが,10年前の1997年って何してました? もうUOやってました?



トリ : 1997年はまだ日本でサービスしていないからなぁ。何があるかな……。当時UOで評判になったのは,発売日に何百人も店頭に並んだってことでしょうかね。









EAJ提供,当時の行列と一番最初のパッケージ。この最初期バージョンのパッケージは,布製マップとピンバッジの入った豪華版。2アカ目を買ったらマップが紙製で,当時のプレイヤーはみんなションボリ



ベス : 当時はみんな「Diablo」をしながら,WebでUOのことを見ていた時代かも。



トリ : あのときPCショップの店員だったんだけど,英語版にもかかわらず予約が150件入ったんだよね。これは当時ありえない数字だった。でも発売が北米オンリーで輸入できなくて,発売日に予約者全員に謝罪の電話をかけて,かなり怒られましたよ。



スカラ: みんな第一便で買えなくて,どこかで入荷したのを聞きつけては駈けずりまわってた,そんなころですね。










1998年当初,まだ海外シャードだけだったときの画像。モンスターの名前が赤色で表記されていた。また,モンスターがゲートを通過できたため,ヒスロスなどのダンジョンから大量のモンスターが送られてくることも……。冒険者にとってHiding(隠れるスキル)が必須だった時代である。右の画像は,海外シャードでのプレイヤー主催での結婚式の様子



――1997年当時全員がプレイヤーだったこともあり,話は1998年に。



4Gamer: その後1年。みなさんは,どんな形でGMになったんでしょうか。



トリ : 最初に,日本のGM全員が集まったのは1998年の8月でしたっけ。僕が入ったのはGMのみんなが集合する日で,面接に行ったらそのまま採用しますと言われたんですよ。そして,今からミーティングがあるけど,時間ありますか? と言われた(笑)。



ベス : それ,GMの面接だったの?



デン : 僕も,テスターの募集だったから応募したんだけどね(笑)。



スカラ: ボランティアに応募したら,GMを募集しているんですけどどうですか? と言われた記憶が。



4Gamer: 割と適当ですね,EA Japan(笑)。ボランティアの募集が始まったのはいつごろでした?



ベス : 実は俺とユーさんが同期で,カウンセラー(※)第1期だったんだよね。



トリ : カウンセラーの募集を始めたのが1998年の11月とか12月とかだったかな。



ベス : その後,GM募集がなかなかなくてねぇ……。



ユー : 私はエレクトロニックアーツ?ジャパン(以下,EAJ)にいた期間より,カウンセラーだった期間の方が長いんですよね(
引用元:RF online Z 総合サイト

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